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日本茶の店 清水茶寮からのお便り

店主の徒然日記、ハーブ園から、森林から便りが届きます・・・

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山からのたより その14 秋~冬の巻 

「山村の怖いお話し!」                      池谷キワ子

お茶愛好家のみなさま、夏から冬へひとっ飛びでしたがいかがお過ごしですか。
このところ日本ばかりでなく、世界中に気象の変化で災害が多発しているのは
人災といえるのかもしれません。
今回は山里「養沢」の周辺のことです。暑い時期の方がふさわしかったでしょうか?
養沢の入り口に火葬場があり、下流の乙津(おつ)集落との間で、そのあたりだけ
人家が途絶えています。
その道端の「幽霊」が出る、人が道脇に立っている、子供を抱いた女性が川べりに消えた、
と囁かれるようになりました。集落へ一本だけの道ですから、夜遅く帰る時は車であっても
不安がつのります。火葬場は数年前にクローズされたのですが、そういう話の舞台装置とし
ては完璧なところです。

わたしが半世紀前に通った分教場も、トイレに「馬の幽霊」がでる、
右端の使われていないトイレは、入ると出られなくなる、といわれていました。
養沢分教場は養沢の中ほど、両脇の山がせまっていてほとんど日が当らず、
傾いた廊下やトイレへの渡り廊下は、裏山斜面からの湿気でじめじめしていました。
大正時代になって校舎ができる前は、馬の墓地だったそうです。
江戸から明治への時代はどこの家でも馬を飼っていて、生活は馬の力に頼っていたのです。
たくさんの馬が埋められてきました。家には「開かずの間」というのがよくあって、
放置された納戸や物置はお化けが棲むと言われたりしました。 

yamakara14-01.jpg

yamakara14-02.jpg
(林地が95%ぐらいを占める雨後の養沢)

yamakara14-03.jpg
(秋の夕方は早い。夕焼け雲も家路を急がせる)


養沢は今よりずっと田舎の面ざしをもっていました。
「キツネに化かされて」同じ道をぐるぐるまわった、
山からくる「ことろ(子供を取ろう)のおじさん」は夕闇まで遊んでいる子供を連れ去ってしまう、
ヘビを生き埋めにした従兄弟と私が重い風邪にかかったのはヘビのたたり、
お墓の上にヒトダマが飛んだのを私はこの目で見た、という具合でした。
夜が訪れると、遊んで過ごした裏山は動物の天下となり、フクロウの「ほうほう」という
声も響く魔窟になります。白黒の映画の世界のようでした。
ヒトダマはたしかに大きい玉になってすーっとお墓を横切ったのです。
夏の夜、校庭で映画が上映され、幕間にわたしは門柱に寄りかかって木立の間のお墓のうえに
一点の明かりがあるのを見ていました。急にその点が、ふわっと大きく玉になって燃えながら
飛んだのです。そのあと、また元の点になってしまった。友を呼んで言ったら
「あそこに小さな明かりがたしかに見える」とうなずきました。
土葬だったそのころ、死者から発された「リン」が一瞬集まって燃えるのだと聞かされました。

yamakara14-04.jpg
(山への入り口。一歩入るととても暗い)

現代で物騒なのは、人間の仕業です。
今春も2軒の釣り場事務所に同時放火がありました。昔は動物で、モモンガやコウモリの
闇に浮かぶ姿は不気味ですし、キツネは頭脳明晰で人をペテンにかける、
キツネからもらったお札が良く見ると木の葉だったとかいわれます。
でも、新実南吉の「ごんきつね」「手袋を買いに」など人との交流のお話しは微笑ましいものです。
明治のころまでは「オオカミ」がいて、
山から人の後をついてきて恐ろしかったと家々には伝えられています。
でも、すぐ隣の武蔵御嶽山の守り神はオオカミです。

-武蔵御嶽神社の解説よりー

神社の「おいぬ様」=日本狼ですが、狼が守り神となった由来が日本書紀に現れますが、
御岳山では次のように伝えられています。
『日本武尊が東征の際、この御岳山から西北に進もうとされたとき、
深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。尊は山蒜(やまびる=野蒜)で大鹿を退治したが、
そのとき山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。 
そこへ、忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。
尊は白狼に、大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよと仰せられた。』  

yamakara14-05.jpg
↑(神社のお札。各家は戸口に貼って魔物を防ぐお守りとしていた。)
 
御嶽神社は養沢集落のすぐ隣の山頂に建ち、元旦まだ暗いうちに、
村人は山道を登って参詣に訪れ、日の出山に廻って初日の出を拝むのが習慣でした。
いまでは歩いて登る人はなく、ぐるぐると山裾の車道を1時間近くかけていき、
ケーブルに乗りついて参拝するだけです。
以前に書きましたが、養沢へは五日市から戸倉まで来て、
そこから横根峠をこえるのが主街道でした。
わたしの祖母が明治の40年に扇町屋といういまの狭山市からお嫁に来た時、
最初に出した嫁入り道具一式が横根峠で「追剥(おいはぎ)」に盗られてしまい、
再度整えたのだそうです。
街に育った「サクおばあちゃん」は「こんなところとは知らずに(嫁に)来たんだよ」と
私に言っておりました。

怖い話もあんまり恐ろしくなかったですね。
人の気配のない山のなかで、夕闇せまるころ聞かされたらすこしは真に迫るような気がします。

  1. 2013/12/09(月) 18:12:12|
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Author:せいすいさりょう


清水茶寮(せいすいさりょう)では、
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