日本茶の店 清水茶寮からのお便り

店主の徒然日記、ハーブ園から、森林から便りが届きます・・・

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元気が出るルビー色の<ハイビスカスティー>

ハイビスカスローゼルの赤い実
今年の冬は寒さが厳しいですね。
宮崎も例年よりも気温が低く、霜が降りたり、氷が張ったりしています。

今回は新しいハーブを紹介します!
《ハイビスカスローゼル茶》です。
自然農をされているご近所の方から3年前に種を分けて頂き、畑で育てていました。
3年目でうちの畑でも、やっと大きくたくさん実りました。

ハイビスカスローゼルの花
黄色い花が咲いた後、赤い実が出来ます。
この咢(ガク)と苞(ホウ)を取り、お茶にします。

ローゼル茶は、爽やかな酸味があります。
ビタミンCやクエン酸が豊富に含まれていて、美肌効果が高く、
また新陳代謝を高め疲労回復に役立ちます。
赤の色素成分は、眼精疲労をやわらげる働きもあります。
利尿作用があり、むくみや二日酔いの改善に効果があると言われています。

クレオパトラも美貌を保つために愛用していたハーブ茶のようです。

酸味(すっぱさ)が苦手な方は、ハチミツや吉備砂糖を入れると、甘味も出て飲みやすくなります。

うみの風の新しいハーブ茶、一度お試し下さいね

12月も半ばを過ぎました。
今年もお世話になり、ありがとうございます。
うみの風ハーブ園の季節のお便りを、少しずつですがお送り出来た事、嬉しく思います。

  心暖かなクリスマスを…♪
そして佳き新年をお迎え下さい。
 
                                      尚 美
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  1. 2018/01/05(金) 09:36:29|
  2. うみ風からの便り

山からのたより  その26  2017年晩秋の巻

山からのたより  その26  2017年晩秋の巻

             蛇に出会ったこと                  池谷キワ子

今年の夏も前半は暑さいっぱいで、後半は雨の多い日々でした。それでも
東京エリアは豪雨をまぬがれましたが、九州はひどい災害にみまわれました。
10月も雨ばかりの日が続きました。極端な気象です。      
清清水茶寮のみなさまお元気でしたか。今回はヘビのお話しです。

7月、庭に自生するヤマユリ
写真上 7月、庭に自生するヤマユリ

写真下 8月、ささんた小屋裏に咲いたキツネノカミソリ
8月、ささんた小屋裏の咲いたキツネノカミソリ

私たちがその巨大なヘビに出あったのは、10年も前の秋も深まって木の葉も落ち始めたころでした。
まだ女性ばかりだった「そらあけの会」一行が枝打ちに通っている林地にとりつくために、大岳沢を
石を跳び越しながらわたっていたときでした。先頭にいた私がいつになく、「キャーッ」と黄色い声を
張り上げてしまったのです。沢岸の曲がりくねった太い枯れ枝にからみついて、橙色がまだらには
いった太いヘビがこちらを睨んで、赤い舌をチロチロと出していました。
見たこともないほど大きく太く、何か平たいものを飲み込んだかのようにコブラ状に首もとがさらに
太く平らになっていました。

「だれかが南洋産のペットをすてていったのかもしれない」私は見慣れない大きさのヘビにそんなこと
を口走ってしまいました。多摩の秋川上流にあるこの集落は、都会から車に乗せて来ては捨てられる
さまざまな動物に悩まされていたのです。
「それだったら大きい石なげて殺してしまおうか。こんなのが増えたらたいへんよ。」
メンバーのひとりが震えながらも意を決したようにいいました。とにかく、あまり手荒なことはしないで置
こうと、カメラを持っていたリーダーが、腕をいっぱいに伸ばして、何枚かシャッターをきりました。大蛇は、
私たちが立ち去るまで、赤い舌をふるわせながら鎌首をもちあげて威嚇しつづけていました。遠巻きに
しのび足で通り抜け、私たちはそのヘビとお別れしました。

山に棲むどの動物にとっても人間ほど怖いものはないのだろう、私たちはクマやスズメバチをひどく恐れ
ているけれど、鉄砲でズドンとやったり大事な巣を薬噴射で叩き壊す人間は、相手にとってもっと恐ろしい
のだろうと考えつつ急斜面をヒノキ15年生の枝打ち現場へ登りました。

何日かして、林業家で山のことなら何でも生き字引のK氏のところへ、写真を持ってお訪ねしました。
「これは正真正銘の《ヤマッカガシ》だな。大岳沢の主みたいなやつだ。首の部分が平べったく太くなって
いたのは、怒っていたからなんだよ。」

石で殺さなくてよかった、でももう、ふいにでくわしたくない、遠くからならちょっと逢ってみたいけど、
と思いながら、太い「たんくる」(丸太)が威勢よく暖炉で燃えているK邸を後にしました。
大岳沢
写真上 大岳沢 

写真下 文中の大岳沢で出会ったヤマカガシ。直径10センチほどあった。撮影 岡根陽子
文中の大岳沢で出会ったヤマカガシ。直径10センチほどあった。撮影 岡根陽子

「ヘビ」、誰もがその姿にはゾクッとさせられます。一度見たら忘れられない様子は、実は造形的には
すばらしいのかもしれないし、そのたたずまいを見ると、本人は相当誇り高いのではと思えてなりません。
以前はそこかしこにいたアオダイショウ、マムシ、シマヘビ、ヤマカガシ、ジムグリなどもこのごろは
見かけることが少なくなりました。でも、恐竜のように、標本の世界に入ってしまっては二度と見られず、
取り返しがつかないことです。

我が家の茶の間を改修するまえのこと、大きなアオダイショウが天井から落ちてきたことがありました。
父が落ち着いて棒に挟んで、裏庭に放り出しました。また、ひとりで林道を運転していたときのことです。
石ごろの路面で、のうのうと昼寝中だったヘビが、目と鼻の先になって車の接近に気づき「がばっ」と
鎌首をもたげ、もんどりうって路肩に逃げ去ったことがありました。爬虫類の日向ぼっこは体温を上げて
活動するために必要なのでした。

山作業のプロ「ユウさん」がボランティア「林土戸」(りんどこ)相手に林業の師匠をやっていたころでした。
作業現場に登っていくと、割った小枝に頭を挟まれて観念しているマムシが、こっそり岩陰の地面に刺して
ありました。林内での昼食後、ユウさんは、沢に降りていってそれを三枚におろし、たたき状にして葉っぱ
に盛り、メンバーにご披露したのです。みんな我先にと腰を上げ、無言で枝打ち地点に上がっていきました。
ところが残った美人OL嬢が口に入れて「おいしい!」と言ったのです。彼女はその切り身をお弁当箱に入れ
て持ち帰りました。ユウさんはといえば、肝を飲んだとか。私は豆粒大を食べようとしたら何とも言えない
マムシの匂いに圧倒されてしまったのでした。

思い出せば幼いころ、やせっぽちだった私は、マムシの粉を飲まされたことがありました。父が、生けどりに
したマムシの頭を釘で板に打ち付け、ウナギのように切り開き、竹串に刺し、囲炉裏であぶってカリカリにし、
薬研(やげん)で粉末にしたものです。

写真 カエルを飲み込んでいるシマヘビ。2017年6月 撮影 岡根陽子
写真 カエルを飲み込んでいるシマヘビ。2017年6月 撮影 岡根陽子

森林には宅地、田畑、野原にはない食物連鎖による生物生態系が構築されています。でも近年は
その自然のバランスが崩れて、絶滅しそうなもの、増えすぎてしまったものが現われ、わたしのまわ
りでも幼木を食い荒らすシカ、畑を我が物顔に餌場にするイノシシ、サルが増加し、ツキノワグマまで
集落を訪れるようになりました。こうなっては林業はますます持続不可能です。シカでは東京都でも、
さまざまな対策に取り組んでいますが、例に漏れず減少に向かったとは聞かれません。

あらゆる生命体が均衡を保って林内に生息し山をシェアーしていく、豊かな森林とそれに並行して成り
たっていく林業、そういう未来の山にしなくてはと、ヘビのことから連想して思ったことでした。
  1. 2017/11/12(日) 20:02:52|
  2. 山からの便り

バジルの収穫の季節

成長したバジル
10月に入り、朝晩が涼しくなってきました。
宮崎は夏は雨が殆ど降らず、土がカラカラでしたが、今は程よく雨が降り、
ハーブ達もまた元気になりました。
 
バジルの収穫をしています。
柔らかいバジルの葉を収穫して、自家採取のにんにく・宮崎日向の塩・
スペイン産オリーブオイルで、バジルペーストを作っています。

今年の夏の光や秋の風を吸収した、バジルをお楽しみ下さい。

                                         尚 美
  1. 2017/10/09(月) 11:36:47|
  2. うみ風からの便り

夏の終わりとメントールの香り

ミント畑から見た風景
9月になりました。
風が急に変わり、秋の気配を感じています。

この夏は、知人が訪ねて来たり、援農に来てくれる方がいたりと
あっという間に過ぎていきました。

夏の間は、ミントの収穫やバーベナ、レモンバームを収穫したり、草取りの日々です。
今年は雨の少ない日々で、毎日晴れが続き、植物たちは少ない水分だからか、
成長もゆっくりな様な気がします。

ミントは今年、畑一面に茂りました!!
ミントティーバッグも作る予定です。

夏の終わりですが、メントールの香りのミントをお試し下さいね。

上の写真は、ミント畑から見える風景です! 遠くに見えるのは海です。
下のこの写真は、成長しているミントの畑です。
成長したミント


                     尚 美
  1. 2017/09/04(月) 23:27:21|
  2. うみ風からの便り

山からのたより  その25  2017年夏の巻

山からのたより  その25  2017年夏の巻

出陣学徒「さん」の消息を尋ねて

                                      池谷キワ子

今回は山から離れた話題です。最近とてもこころを動かされた出来事がありましたので記してみます。
先の大戦から70年余という長い時間が経ち、体験した人も少なくなりました。
でも何十万人、何百万人の若者が戦争で将来を絶たれてしまった、今後決してあってはならない、
伝え残したいことです。


60年前の高校時代の恩師「兵頭信彦先生」は小金井雑学大学で西洋史の連続講座を
昨年まで20年近く続け、その歯切れのよさ、わかりやすさに好評をはくしてきました。
私たちクラスメート数人は毎回出席して、昔と寸分変わらないお話しぶりを懐かしみ、
終了後先生を囲んでミニクラス会を開いてきました。

yamakara25-01.jpg
(写真・小金井雑学大学・2015年)

3年前その講座に、小林宏夫妻という方が訪ねていらっしゃいました。

『戦死した兄・小林蕃(こばやし しげる)は兵頭信彦先生宅に下宿していて、
一橋大学(当時は東京商大)から学徒出陣しました。
出陣から70年を機に、出陣学徒の遺品を展示することになり、故郷に兄の遺品を探しにいったのですが、
戦災でほとんどが焼失してしまっていました。ただ一つ、一年先に学徒出陣していた兵頭先生が、
軍隊から兄に送ったハガキが出てきたのです。
なんとか兄の足跡をたどりたいと、ネットでこの講座を探し当ててやってきました』とお話しになりました。

その後小林夫妻は、兵頭先生の戦争体験記「カーキ色の青春」(これは未刊の記録です)を読み、
年2回の小金井雑学大学講座に通ってきていました。
昨年の16年11月、「アメリカの発展とイギリスの繁栄」という小金井雑学大学講座の折、
先生は自ら学徒動員された時のことを余談として熱心に語ってくれました。

『同じ町内(国分寺町平兵衛新田、現在の国分寺市光町)に住む3人の学生が同期の出征兵士となりました。
中のひとりが一橋大生で潮田脩君といい、南方の戦地に向かったがあえなく戦死してしまいました。
戦争が終わって潮田君の家にお悔やみに行ったのでしたが、母上のお嘆きは深く、
いたたまれないほどで、声のかけようがなかったのでした。
一方自分は、この歳まで生き残った。いったいどういうことなんでしょうか。
戦争が終わったらそれぞれの大学にかならず帰ってこようと言い合ってもいたのでしたが』

先生はよく戦争体験のことを講義のなかに織り込んだのでした。

「カーキ色の青春」は私たちクラスメートも回覧しあい、ほとんどが記憶のなかから書き
起こしたというその内容は、次代への伝言であり、戦争の貴重な資料であると感嘆したものです。
その冒頭の部分に潮田君のことがでてきます。
少し長いですがご家族の了解を得ましたので引用いたします。

「カーキ色の青春」(兵頭信彦著)より抜粋

昭和18年11月30日、秋晴れの日であった。
午前10時、町の青年団員数名が、団旗を先頭に押し立てて門前に整列、
「兵頭信彦君、入営万歳!」を三唱して出迎えてくれた。東京帝国大学制帽を被り、
黒の学生服に、祈武運長久兵頭信彦君、と日章旗に大書きされた(カッコ内は略)を胸にかけ、
青年団員に先導され、日の丸の小旗を持った町内の人々を後に引きずりながら、間もなく稲荷神社境内に到着した。
いわゆる“学徒出陣”として当地区から入営するのは3名である。
私の他に潮田君(東京商科大学2年)と越前谷君(日本大学2年)で、すでに神社境内に到着して私を待っていた。
3名揃ったところで、町内会長の司会のもとに、神前での武運長久の祈願祭が執行された。
明日からの不安な軍隊生活を思うといたたまれない気持ちであったが、それはおくびにも出さず、
日本男子の本懐といわんばかりの態度を取り続けなければならぬ自分にある種の滑稽さも感じていた。
“まあ、なるようになれ”という気持ちであった。
~中略~
一方、潮田君は船舶兵として広島の部隊に入隊することになり、母親とともに直ちに指定地に向かったが、
現地で支給された二等兵の軍服に着替えて、母親に手を振って別れたのが最後であったという。
~以下略


兵頭先生は昨年11月の講義のあと体調を崩して、17年1月に93歳でお亡くなりになってしまい、
この講座が最後となりました。出席していた小林宏夫妻は、潮田さんが、お兄様の小林蕃さんと同じ
一橋大学の出陣学徒生と聞き、碑の名簿にも載ってなかったのをつきとめました。
「たぶんお母様はお嘆きのあまり大学に報告なされなかったのでしょう」と小林宏夫人の梨花さんはおっしゃり、
潮田さんについて自治体の戦時下の記録や名簿などを調べてまわりました。
問い合わせ先の一橋大学同窓会では、潮田さんのクラス写真を見つけ出し、消息も探してもらったのですが、
70年前のことゆえ、わずかしか判明しません。
また「いしぶみの会」(一橋大学の学徒慰霊碑を守り、戦没学友の歴史を継承する会)の代表の
竹内雄介氏がさらにたくさんの資料にあたって調査し、それを一枚の報告書にまとめてくれました。

その報告によると、広島の宇品港から西丸という船で戦地に向かった潮田さんは、同大の学徒12名とともに
セブ島に配属され、その後数名は幹部候補生として国内に戻っているのですが、潮田さんは船内に流行った
パラチフスにかかったらしく足止めされた模様でした。
彼が戦死したとされる19年4月19日は米軍機の猛烈な砲爆撃の中を部隊は転進中であったといいます。
400名の第5中隊では、生存者は100名あまりだけでした。
大学時代は村松ゼミ所属、兵頭先生と同じ町内の平兵衛新田の家から通学。
演劇映画研究班の幹事でもあった、以上は戦友会の名簿からわかったことです。

yamakara25-02.jpg
この写真は潮田さんの唯一の写真です。
一橋大学(東京商大)予科3年6組の集合写真の一部で、左手一番後ろの眼鏡を掛けた長身の学生が
潮田脩さんです。

17年5月20日、一橋大学佐野書院にある「戦没学友の碑」での追悼会に、小林夫妻に誘われて筆者は
行ってきました。
碑は2001年の建立で、818柱の同大戦没者の名が刻まれ、今年新しく刻銘されたのは、
「潮田脩さん」おひとりでした。いしぶみ会では年2回の追悼をずっと重ねてきています。

当日は碑の前での参拝、経過報告のあと、室内でお話し合いがあり、小林宏氏が「カーキ色の青春」の
学徒出陣の部分を読みあげ、兵頭先生からの古いハガキを示して、戦死のお兄様、
小林蕃さんからたどっていって、潮田さんの名が浮上したいきさつをお話しになりました。

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(一橋大出陣学徒の碑と記名碑)

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(兵頭先生からのハガキを掲げる小林宏氏)

いしぶみ会の竹内氏が、方々に働きかけて得た情報によると、潮田脩さんのお兄さんの道彦さんも
同大を18年に卒業していて、戦後まもなく病死したとのことです。

そしてその後の5月末日、小林梨花さんから潮田さんのご遺族のことが明らかになったとメールが届きました。
「いしぶみ会」の竹内氏があちこちの名簿をさぐるうち、潮田さんの姪が神奈川に在住とわかったのです。
潮田さんの母上は、長男、次男に先立たれましたが、三男の家族と一緒に後半の人生を過ごし、91歳で
天寿を全うされた由でした。
「ご母堂が孤独な戦後ではなかったことがわかり、少し安堵いたしました」
と書く「いしぶみ会」の竹内氏です。
姪の方の存在が判明したからには、潮田さんの短い生涯の様子をもう少し
知ることができるかもしれません。今秋の学園祭には潮田脩さんの足跡について発表する予定だそうです。

潮田脩さんは70年を経てようやく念願の母校に帰れました。

yamakara25-05.jpg

(記名碑最下段に載った潮田さんの名)
  1. 2017/07/02(日) 21:32:46|
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Author:せいすいさりょう


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